密やかな結晶

医師を目指して勉強しています。常に一生懸命でいること。

みにくいアヒルの子

集団においての自分の立ち位置を何度も何度も確認します。

今は、勉強しなきゃ。勉強しなきゃ。もっと知識を付けなきゃ。私は頭が悪いなぁ、駄目だなぁ、と思って苦しい気持ちになります。

とても努力ができる人や、とても暗記が得意な人と比べれば、私は頭が悪い人間ということになります。何度も反復しないと知識は身につかないし、その場に適した知識を瞬時に引き出すことが私はあまり得意ではありません。

日々劣等感を感じています。それだけなら良いのです。私がきちんと力を入れて勉強を始めれば、コツコツと努力さえしていれば他人と比べてのその劣等感も和らいでいくでしょう。

問題は、その場においての人間関係です。残念ながら私は、人間関係を円滑に回すことがあまり得意ではありません。それはもう、小学生の頃からずっとそうなのです。私自身はそれは自らがグレーゾーンの発達障害であるからだと考えていました。他人からは、虐待による反応性愛着障害だと言われました。どちらでも良いと思います。両方あったとしても何も特別不思議なことではありません。ただ私にとっての問題は、

「どのような集団に居ても常に周囲とのズレを感じる」

「孤独感と寂しさが常に付きまとっている」

「集団への恐怖、対人への恐怖を持っている」

といったことです。人と仲良くなりたいのに人が怖くて近付けないというジレンマを抱えていました。底が見えない谷底を見下ろすような恐怖を感じながら他人と笑顔で話していました。そのようなメンタリティで、私には親しい友達というものはできませんでした。私の行動は他人にとっては変で、私の思考も変なようでした。私が当たり前にしていることは社会には受け入れられないことのようでした。

息を潜めて社会に潜り込んでいます。話をただ黙って聞いて、適切な相槌を打ちます。積極的な関与をしなければ案外、馴染めるものです。しかしそれは同時に、自分のことは理解されないという孤独を深めるものでもありました。

集団で孤立することに恐怖を覚えます。見下されることは責められることです。勉強ができない私は攻撃対象とされかねません。例え誰も私を攻撃しなくたって、私は自らの劣等感によって自分を攻撃することすらします。

集団を憎んでいます。けれど社会で生きる上で私は必ず集団に所属している必要があります。集団に所属するということは、いざという時に守ってもらえることを意味しますが、私にとっては「枠からはみ出してはいけない」という嫌な制限のようなものです。

家庭に所属するということにも恐怖を覚えます。夫に支配されるのではないか、搾取されるのではないか、子供と折り合いが悪くなった時に誰か助けてくれるのだろうか。私は窒息してしまいそうな気がします。

風通しの良い自由な人間関係があること。他人に最低限の尊敬と、尊重がなされていること。被害者意識を抱かないこと。私を傷つける人やその思考から距離を取ること。傷つかないよう、鈍感であること。

今でもまだ、私はそれらを模索しています。