纏わりつく不安と、確かなこと
ちょっとした資格を取るために勉強をしています。
とはいえ私は腐ってもそこそこの大学生。昔取った杵柄、気合を入れて勉強すればある程度は堅いでしょう。しかし、ちらちらと頭に不安がよぎるのです。「こんなことして何になるんだ」「駄目だったらどうしよう」「できない」「もうやりたくない」と。
私を動かすモチベーションと、そこに現れる不安。普通の人であればもしかしたら、不安など感じずひたむきに走れるのかもしれません。友人と不安を分かち合い、励まし合うこともあるでしょう。もしかしたら不安の材料を分析し、解消するための策を練っているのかもしれません。
私は、不安の種を他人と分かち合うことができません。自分の取った行動が、正しいことだと思えないのです。いつだって、これは悪いことだと言われるのではないかと怯えています。自分の一挙手一投足を恐怖と共に見つめています。
いくら理論立ててその正当性を確認しても、不安は離れてはいかないのです。
それはきっと、私が世の中は理不尽なことばかりだと考えているからでしょう。
人は理不尽に他人を攻撃しますし、理不尽である自覚もしない場合が殆どです。私は理不尽に傷つけられてきました。私がしたいと思ったことを、他人の気分で否定され、左右されました。私がどんな気持ちでこれをしたいと言ったのか、誰も知ろうとはしてくれませんでした。
ですからきっと私は、自分の気の赴くままに動くことができないのでしょう。
今、私は一人ぼっちで自分のために必要なことをこなしています。リストアップして、順序を決めて、一つづつ。そうでないと頭が混乱してしまいます。うっかりするともう嫌だと投げ出してしまいそうになるのを、抑えて抑えて何とか最低限の義務を果たしています。
不安に立ち向かうことは、その全ての段階で必要になります。少ない成功経験を思い返し、自分の正当性を信じようとします。「大丈夫、大丈夫だ、」と何度も繰り返し呟きます。
「失敗しても大丈夫。死にやしないわ。ほら、私が本気でやると決めて、できなかったことなんて無いでしょう?」
ええ、まだ大丈夫です。まだ頑張れます。今は一人ぼっちでも、私を精神的に支えてくれる人達がいます。その人のことを考え、しっかりしなければと自分を奮い立たせます。
けれど本当は、こんなに色んなことを怖がることなく、ただ好きなことを好きなようにできるようになりたい、と思います。「やりたいからやるの!このくらい大丈夫よ!」と胸を張って言えるようになりたいと強く思います。
さて、もう少し作業してから寝ましょうか。
赤く燃える蠍の心
透きとおった、美しい、私だけの、暖かくて優しい何かをずっと探している気がします。
私の隣に居てくれる人が欲しいわ。
たくさん甘やかして欲しいわ。少し、疲れたのです。少し休んだらまた歩き出せるから。
私はこの世界を未だに好きになれないのです。
冷たくて悲しい人々に囲まれて生きています。私が私であることは、今の社会では許されないように感じます。
だから、ただ1人に私の存在を許して欲しいのです。たった1人さえいれば私はこの先も生きていけるんじゃないかなと思っています。
ずっと独りぼっちで生きていました。
家を出て、知らない土地で暮らし始めてから、孤独はもっともっと深くなりました。
ああでも本当は、友人なんていらないのです。
怖くて汚い人間たちを、友達にしたくなんてないのです。
けれど求めてしまいます。私の孤独を消してくれる奇跡のような存在を、心のどこかでずっと求めているのです。
そんな都合の良いものが居ないことはもう随分前から分かっているのですが。
荒れ狂う感情を抑えて、息を詰めて他人をじっと見つめてきました。
人が愛しくて怖くて憎いです。
どうかこの先少しづつでいいので、自分のことを好きになれますように。自分と他人を比べることなく大事にできますように。
人が怖くなくなりますように。
世界を愛せますように。
生きているうちに、幸せになれますように。